□純米酒を極める 上原浩
「いざ、純米酒」が酒造教本なら、この純米酒を極めるは正しい日本酒の見解を知るものです。
なぜ不味い日本酒が多いのか、なぜ日本酒は衰退しているのか。
酒造技術指導者であり、戦後の純米酒復活を支えた方の言葉はどれも説得力を持ち、私たちに日本酒の在り方を示してくださっています。
上原さんは一貫して「酒は純米、燗ならなお良し」という日本酒の在り方を提唱しています。
これは言葉の通り、日本酒は純米酒を燗で飲むのが一番であるという考え方です。
純米酒で燗にして美味い酒と言うのは簡単な言葉ではありますが、純米酒はいまだ日本酒総生産量の一割であり、その中でもまがい物の純米酒、技術力の低い蔵の純米酒も含まれているため優良蔵の純米酒はまだまだ少ない状態です。
なぜ最高の日本酒である純米酒が造られないのか、その原因であるアルコール添加酒、生酒、新酒と純米酒の関係。これらの問題が経験に裏打ちされた言葉で分かりやすく書かれています。
こんな糞サイトなど見ないでこの本を読んでみてください。
この本は後世に残る日本酒本です。
間違いなく荒ぶる想いがこもった魂の一冊です。
酒は純米、燗ならなお良し
酒を知れば知るほど響く言葉です。
ただこの言葉は純米酒でなくてはならない、燗でなくてはならないと言う絶対の言葉ではありません。
純米酒を燗で飲むスタイルが日本酒の醍醐味だと言っているのです。
純米酒でなくても美味い酒はあるかもしれない。
美味い酒を冷やした夏の冷酒も美味い。
私は消費者は純米酒じゃなくても燗でなくても自分の好きな酒を飲めばいいと思っている。
しかし酒造、酒販店、飲食店は純米酒だけを提供しなければならないと思う。
アル添は消費者を惑わし誤解させるだけであり日本酒の衰退を進めるだけだ。
酒離れの進む世代は不味いアル添した酒などすぐに見抜く。飲むはずもない。好きになるはずもない。
本醸造、アル添吟醸にも美味い酒はあると発言する人がいるが、それはある程度日本酒に精通しており信頼できる酒蔵を知っている人の言葉です。
しかもこの発言は(アル添酒は不味いが)美味い酒もあるという言葉です。
純米酒>アル添と分かっているのに、なぜいちいちそんな誤解を招く事を言うのでしょう。
一般の消費者がそのごく僅かな「アル添にしては美味い酒」を簡単に手に入れることが出来ると思っているのでしょうか。
「アル添にしては美味い酒」を造る酒蔵の「純米酒」は、その「アル添酒にしては美味い酒」に劣るのでしょうか。
美味い「純米酒」を選ぶのと、「アル添にしては美味い酒」を選ぶのではどちらが簡単で美味しいでしょう。
純米酒がある限り、アル添の存在意義など全くありません。
わざわざアル添を作る必要も、進める必要も、飲む必要もありません。
あくまで提供する側は純米酒のみを日本酒として販売し、美味しいのみ方として、食事と共に燗酒で飲むことを進めるべきであると私は思う。
消費者に提案する日本酒は純米酒でなくてはならない。それは食事と共に燗で飲むといっそう引き立つものである。
それが「酒は純米、燗ならなお良し」の意味だと私は思います。
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